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130年の歩み

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10.長崎市商工団体連合会の結成 (昭和14年6月)

 昭和12年に勃発した支那事変は泥沼の様相を呈し、終結のメドもつかないまま拡大していった。国内は準戦時体制から戦時体制となり、諸種の統制が加えられた。13年には国家総動員法が公布されて軍需産業拡充のための産業再編成が強行され、平和産業部門の中小商工業は大きな打撃を受けた。

 このような情勢のなかで、長崎は大陸進出の拠点として、ますます重要な地位を占めるようになったが、長崎商工会議所は、各種商工団体が結集して国策協力の実をあげるため、長崎市商工団体連合会の結成を各団体に呼びかけた。

 連合会は、全市181組合(組合員総数約15,000人)で組織され、昭和14年6月7日、会議所で創立総会を開いた。総会には各組合の代表112人が出席し、会則審議の後、役員選任を行ない、会長に山田鷹治商工会議所会頭を推した。連合会は、(1)所属商工団体の提案に係る事項の審議遂行 (2)経済統制諸法令の周知徹底 (3)物価調整の実行確保 (4)非常時商工経営対(5)応召商工業者の営業援護などを主な事業としたが、その発足を祝い、商工団体相互の融和団結の促進と商工業従業員の体育向上を図る趣旨から、翌15年12月8日、長崎市民運動場で体育大会(以後17年まで毎年開催)を開いた。記録によれば、この大会には、23三団体から500余人の選手が参加して競技を行ない、男子優勝の魚問屋組合が会議所会頭旗を、女子優勝の菓子工組合が市長旗を獲得している。

 さらに、時局がいよいよ切迫した昭和16年4月には、連合会が主体となって長崎県商業報国会長崎支部を結成し、(1)新商業倫理の確立 (2)商業新秩序の確立 (3)統制順守を実践要綱に掲げ、商業報国運動を積極的に展開することになったが、やがて、すべての生活必需物資が不足して配給制となり、商店は配給の末端機関と化して商業本来の機能は全く失われることになった。


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