トップページ > 長崎商工会議所の変遷 > 1.長崎商法会議所の誕生 (明治12年10月)
明治維新政府の進取的な殖産興業策によって、わが国は近代産業国家への道を急速に歩むことになった。
しかしながら、中央集権政治体制の強化は、日本の西端に位置する長崎の経済界にさまざまな不利益をもたらし、貿易港としての優位性を横浜、神戸に奪われたのみならず、産業の近代化も他都市に比べて立ち遅れざるを得なかった。長崎においても、明治初頭、早くも産業資本による金融機関や会社組織による商社が出現し、近代資本主義の萌芽が認められたが、その勢力は微弱で依然として封建経済的諸形態が残存し、長崎の産業界の近代化が本格的に進展したのは明治10年の西南の役以降であった。
明治11年3月、わが国最初の商法会議所が東京で設立され、以後、大阪、神戸などと全国主要都市で商法会議所の設立が相次ぎ、長崎の商工業界でもその設立を急ぐことになり、松田源五郎氏ら有志実業家が中心となって準備を進め、長崎商法会議所の設立に至った。
長崎商法会議所の創立記念式典は、明治12年10月1日、築町107番地(現十八銀行本店所在地)の松田商行において会員50人が参集し、長崎県から高橋大書記官ら各客員が臨席して盛大に挙行された。投票によって会頭に松田源五郎氏、副会頭に青木休七郎氏を推挙し、祝宴で一同に祝盃と赤飯を配ってその発足を祝った。
こうして長崎商法会議所はわが国五番目の商法会議所として生誕、事務所を松田商行に置いて、早速、事業活動を開始することになった。これが長崎商工会議所の発祥であり、130年の歩みはここに始まったのである。
当時の商法会議所の主な事業は、(1)産業経済問題に関して中央、地方官庁の諮問に応えること(2)商工業の改善発展策に関して検討すること(3)地方商工業の実情を調査することなどであった。しかしながら商法会議所は政府の勧奨によって設立されたものの、有志実業家の私的な団体にすぎなかったため、組織基盤が薄弱であっただけでなく、財政的にも極めて不安定であった。
すなわち、商務局から毎年500円の保護金を仰ぐほかは、会員の拠出金(毎月1円)と有志商工業者の寄付によってどうにか経費を支弁するありさまで、その運営は困難を短め、事業活動も意にまかせない状態のうちに推移していった。
こうした折から明治14年4月、政府は農商務省を創設して、より積極的な産業振興策を遂行しようとしたが、同年5月、突如として太政官布告第29号をもって農商工諮問規則を発布した。
この布告は官設の諮問協力機関として各府県に農商工諮問会を、各府県の区と連合町村区に農商工業議会を設立しようとするもので、商法会議所の存在を全く無視し、同年7月には商法会議所に対する保護金まで打ち切るに至った。そのため全国各地の商法会議所は、本来の機能を失い、存続さえ困難な状態に陥った。
こうして長崎商法会議所は、創立2年目にして早くも存亡の岐路に立たされることになった。松田会頭ら幹部は善後策について協議したが、長崎貿易会所が積み立てている貿易5厘金から、毎年500円の補助金を下付するよう懇請することになった。この補助金の下付については、異論が起こって難儀したが、明治16年からようやく実現をみるに至り、商法会議所はかろうじて余命を保つ状態を続けていったのである。
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