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130年の歩み

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1.初代会頭松田源五郎翁の銅像建立 (明治41年8月)

商業会議所への情熱

 初代会頭・松田源五郎翁について、長崎商工会議所50年史は、次のように記述している。

初代会頭松田源五郎翁の銅像(軍への供出前のもの)
初代会頭松田源五郎翁の銅像
(軍への供出前のもの)

 「松田源五郎は、明治12年長崎商法会議所の設立より、長崎商工会及び長崎商業会議所の設立を経て、明治34年3月逝去の日に至るまで、22年の久しい間、終始一貫して或は提唱者となり発起人となり、また会頭となって、会議所の運営伸展に努力し、長崎商業会議所の父とも言うべきものである。のみならず我が国実業界の先覚者であって、その経歴資性に於いてもまた我が国実業家中の第一人者に位するものであった。従ってその言動は、時世の趨勢に先んじ、常に長崎市民を統合してその師表となり指導者となり諸多の公私事業を企画経営した。就中、長崎商業会議所はその公共事業中に於て最も精力を用いた所のものである」。

 その晩年、すべての公職から退くにあたり告別の宴を催した際も「余老来健康頗る不良、我が国の隠居の習慣は甚だ好まずと雖も、止むを得ず各種の公務及び私務を辞せんとす。然れども独り商業会議所に至りては、身命の限り之に背くこと能はず」と挨拶し、商業会議所の運営に最後まで情熱を注いでいたことがうかがわれる。


銅像建立

 明治41年8月9日、諏訪公園丸馬場において、初代会頭・松田源五郎翁の銅像除幕式が、荒川知事、北川市長、永見商業会議所会頭ら官財界の知名士1,200余人が参列して盛大に行なわれた。長崎実業界の先覚者として、財界から一層の活躍を期待されていた松田源五郎翁は、急病により明治34年3月1日逝去。享年61才であった。

 なお、この銅像は、太平洋戦争中、金属供出のため撤去されたが、戦後長崎商工会議所と十八銀行が中心になって再建が進められ、長崎市出身の彫刻家・日展審査員の富永直樹氏の彫塑によって、昭和38年4月5日、現位置に復元された。

明治25年ごろの長崎市全景
明治25年ごろの長崎市全景


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