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130年の歩み

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15.長崎空港の開港 (昭和50年5月)

 昭和50年5月1日、長崎県民待望の長崎空港が、世界で初めての海上空港としてオープンした。この日から、長崎の空は本格的なジェット化時代を迎えることになった。

 昭和40年代の高度成長最盛期を迎えて、航空需要はますます旺盛になり、航空各社では高速・大型のジェット機の導入を競っていた。

 こうしたなかで、宮崎は、すでにジェット機が離着陸できる空港を備え、熊本、大分、鹿児島でも新空港の建設が進められていた。

 一方、本県の空の玄関口であった大村空港は、昭和34年に、戦前の軍用飛行場を転用して開設されたもので、規模が小さく、施設も不備で、大型機の離着陸は不可能であった。

大村青果市場で行なわれた新空港の起工式
大村青果市場で行なわれた新空港の起工式

 こうした実情から、大型空港の開設を望む声が県内各界・各層から高まっていたが、長崎県当局も、早くから、その必要性を痛感し新空港建設の構想を練るとともに、候補地の選定を進めていた。昭和44年に至って諸般の条件を検討の結果、最終的に、大村湾の箕島を最適地と認め、さっそく、島民との折衝を始める一方、46年度から始まる空港整備第二次五カ年計画に組み入れるよう、政府、関係方面に対し要請することになった。

 これに呼応して、かねてから、新空港の建設を訴えていた長崎商工会議所は、経済諸団体に呼びかけて、44年4月、長崎大村空港整備促進協議会を結成、政府、関係方面に対して活発な陳情、要望を行なうとともに、県民の認識、理解を深めるためのPR活動を展開した。新空港建設の鍵となる島民・漁民との交渉は難航を極めたが、県当局の懸命な努力によって、46年8月、ようやく妥結し、同年10月、運輸大臣の認可があって、翌47年1月22日に着工の運びに至った。こうして、新空港は、3年余の歳月と210億円の資金を要して50年5月1日の開港をみることになったのである。

完成直後の長崎空港
完成直後の長崎空港

 新空港は、総面積134万㎡で大村空港の約5倍、2,500mの滑走路と最新の施設を備え、ジェット機の就航によって東京まで僅か1時間45分で結ばれることになった。開港後の利用状況をみると、機材の大型化、空路の拡充、国際チャーター便の就航等によって、53年には利用者数160万人を超えるに至り、さらに54年9月には、日中定期便の開設が予定されるなど、今や空港施設の一層の拡充・整備とあいまって、国際空港を目指し大きく飛躍しょうとしている。

 なお、促進協議会は、その使命を終えたとして50年5月に解散したが、その後身として51年7月、長崎県空港協議会が結成され、空港施設の拡充、路線の拡大、国際化の推進など本県航空事情の一層の改善に努めている。


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