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130年の歩み

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3.林兼造船長崎造船所存続活動 (昭和54年7月)

 林兼造船長崎造船所は、大洋漁業系列の造船所で、本市では三菱重工業長崎造船所に次ぐ中堅造船所であった。当初は、漁船や1万トンクラスの貨物船を建造していたが、昭和48年大型の船台を完成させバラ積み貨物船やパナマックス型タンカーの建設が可能になるほどその建造能力は飛躍的にアップ、地元有力企業として地域経済に重要な役割を果たしていた。

 ところが、石油ショック後の長引く造船不況は、本市の造船関連企業に大きな打撃を与え、林兼造船長崎造船所も縮小、撤退などの合理化を迫られた。林兼造船(本社・下関市)では、運輸省の造船業界安定基本計画に基づき設備削減を検討中で、場合によっては長崎造船所を閉鎖する可能性があるといわれていた。

 本所は昭和53年12月の大洋漁業、林兼造船への陳情に引き続き、翌年7月には松田副会頭をはじめ、柴田県経済部長、小田県労働部長、高比良長崎市助役、西岡県議会議員、柴原長崎市議会副議長らが上京、中部藤次郎・大洋漁業社長と幹部に会って『長崎造船所の設備削減が実施されると直接雇用の従業員はもちろん、関連下請企業並びに地域の中小企業に及ぼす影響が大きい』と存続を訴えたほか、その後も数次にわたり、運輸省船舶局や林兼造船並びに親会社の大洋漁業に対し、陳情活動を行なった。だが、このような努力も効果なく、翌55年1月には、長崎造船所の閉鎖が決定された。

 跡地は一部を林兼造船出資の林兼船渠が引き継ぎ、操業を開始。その他は、特定船舶製造安定事業協会に買い上げられた。その後協会より、三菱長崎機工と中田組に払い下げられ、再び造船、鉄構関係工場として甦ったことは、地元にとっても喜ばしい限りであった。


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